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2008年11月20日

DRUG TREATMENT DAYZ***

あの頃コーラはペプシだと決めていた。

妙なこだわり、くだらないプライド。

あの頃タバコはホープと決めていた。

親父と同じものは嫌だったし、

なにより憧れの先輩が吸っていた。

今よりも酸っぱい臭いがしていた、あの頃。

ちょっとおっさん臭くなった、今。





【】(Eat Me, Drink Me)

飯が喰えない、自業自得といえど当時育ち盛りの高校生には厳しかった。

何度も同じ夢を見た。

知っている人間が目の前で何やらうまそうなものを食べている。

俺には何もない。

ようやく食べ物にありつけたところで夢は醒める。

点滴で最低限の栄養は摂っているそうだが、実感は全くない。

身を起こそうとすると腹が痛くなるため、起き上がって歩くことも、

寝返りさえできない生活が続いた。

感情表現をする気力もなかった。



【】(アレ)

当時は一日何時間寝ていただろうか?

とにかく寝ることしかなかった。

ただ、やはりそんな生活をしていると夜に眠くなるわけがなく、

鎮痛作用のある注射を刺してもらって無理やり寝ていた。

そのうち、それなしでは眠ることができなくなった。

タバコの吸えないヘビースモーカー状態、注射ができないとイライラした。

後で看護師さんに教えて貰ったが、アレは劇薬で依存性がかなり高いらしい。



【一週間後】

術後一週間、抜糸の時間がきた。

一週間という話を聞いて、正直開いた口が塞がらなかった。

7日間という時間がこんなにも長く感じられたのは初めてであったからだ。

ついでに開いた口に何か食べ物でも放り込んでくれたら嬉しかった。

腹は当然のようにへりっぱなしだ。

そんなことはお構いなしに先生は顎の下の抜糸を始める。

さっさと終わらせてメインである腹に行く。

穴は腹の左右中央にそれぞれ一つづつ存在しているが、

それとは別に中央の穴の僅か上に、おしゃれな立て線のジグザク模様が入っている。

8針は意外と早く抜糸ができた。



【8日後】

寝たきり、腹に3本のチューブ、右鼻にもチューブ、息苦しい。

そんな状況下に発熱が重なった。

微熱ならまだしも40度以上出る時は流石に視界がぼやける。

身体がひどく熱を帯びていた。

そんな日が3日ほど続くと、先生がやってきた。

術後の腹を見て、「膿んでるねー」と一言。

そして、俺の右腹に埋め込まれているチューブはとられることになった。

特に痛みは感じなかったのであるが、

とられた後の鼻水のような見るからに汚い黄緑白色の膿の量、

右腹にぽっかり空いた穴のことは今でも脳裏に刻まれてある。



【10日後】

運ばれて10日後、ようやく歩けるようになる。

体験した方ならわかるかもしれないが、

ベッドで寝たきりの状態からいきなり立つ時、

自分の身体がひどく重く感じるのだ。

足の筋肉が著しく衰えたためではあるが、感覚は新鮮だった。



【】(点滴)

話は変わるが、点滴は2つ常用していた。

一つは先ほど述べた、栄養を補うために

鎖骨辺りの血管から通すやたらデカい高カロリー点滴袋、

12時間で交換するタイプ。

腕から通せばいいのではないかとも思ったのではあるが、

それではダメなのだそうだ。

何でダメなのかは、謎だ。

もう一つは膵臓のためのブドウ糖溶液で、

こちらは小型の機械によって液を落とす感覚を調節していた。

同じ病室にいた患者も俺と同機種のものを使っていたので、

バッテリーに充電することによって

持ち運びも短時間ながら可能だということはわかっていた。

さらに点滴台の下には青汁が溜まったパックが俺の鼻と繋がっていた。

無論これで栄養をとるわけではない。

俺の鼻の中からは絶えず胆汁が出てきているため、

それを処理するための袋なのだ。

一時は半日で300ml出していたというのだからそれもまたスゴいことだと思う。

つまり、俺は二つの袋とオプションを吊った点滴台を横につけて

歩かなければならないということであった。
  


Posted by ゆうすけ119MHz at 00:55Comments(4)